現代たまゆら旬感ダイアリー

四季折々の出来事・暦・記念日・話題・雑感などをそこはかとなく書きとどめている日記です。

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8月9日は長崎原爆忌・長崎原爆記念日・ながさき平和の日 "ノーモア・核兵器・戦争"

『長崎原爆忌・長崎原爆記念日・ながさき平和の日』 :
1945(昭和20)年8月9日午前11時2分、アメリカ軍のB-29爆撃機「ボックスカー」により、プルトニウム原子爆弾「ファットマン」が長崎市に投下され、松山町の上空500㍍で爆発しました。


これにより長崎市民が約7万4千人死亡し、約7万5千人の重軽傷を出しました。この原子爆弾により犠牲となった多くの人々の霊を慰め、世界平和を祈る日として長崎市では「ながさき平和の日」としている。
毎年「原爆殉難者慰霊平和祈念式典」が行われています。

 

長崎市への原子爆弾投下(ながさきしへのげんしばくだんとうか)では、第二次世界大戦末期の1945年(昭和20年)8月9日午前11時02分に、アメリカ軍が日本の長崎県長崎市に対して投下した、人類史上実戦で使用された最後の核兵器である。

 

アメリカ合衆国連邦政府は、長崎市に投下した原子爆弾のコードネームを「ファットマン(Fat Man)」と名付けていた。制式名称はマーク3(Mk.3)核爆弾。(以下『原爆』と記す)に関する記述を行う。ファットマンの投下より、当時の長崎市の人口24万人(推定)のうち約7万4千人が死亡し、建物は約36%が全焼または全半壊した。

 

長崎原爆の威力
長崎原爆はプルトニウム239を使用する原子爆弾である。このプルトニウム原爆はインプロージョン方式で起爆する。長崎原爆「ファットマン」はTNT火薬換算で22,000t(22kt)相当の規模にのぼる。この規模は、広島に投下されたウラン235の原爆「リトルボーイ」(TNT火薬15,000t相当)の1.5倍の威力であった。


長崎市は周りが山で囲まれた特徴ある地形であったため、熱線や爆風が山によって遮断された結果、広島よりも被害は軽減されたが、周りが平坦な土地であった場合の被害想定は、広島に落とされた「リトルボーイ」の威力を超えたとも言われている。

 

◆長崎原爆の遺跡・祈念碑・場所など
長崎市では被爆建物の保存よりも復興を優先的に実施したと言われている。そのため、浦上天主堂をはじめとする被爆建物のほとんどが取り壊され、原爆ドームのような被爆の状況を視覚的に理解できる遺構は極めて少ない。遺跡の文化財指定の機運が高まり、長崎原爆遺跡が2013年に国登録記念物、2016年に国史跡に指定された。
平和祈念像
平和公園
浦上天主堂
長崎市立城山小学校(爆心地付近の遺構として当時の建物の一部が保存されている。)
長崎原爆資料館
国立長崎原爆死没者追悼平和祈念館
山王神社(一本柱鳥居や被爆クスノキが残っている)
福済寺(長崎観音)

 

長崎の鐘』(ながさきのかね)は、永井隆が執筆した随筆。


内容は、長崎医科大学(現長崎大学医学部)助教授だった永井が原爆爆心地に近い同大学で被爆した時の状況と、右側頭動脈切断の重症を負いながら被爆者の救護活動に当たる様を記録したもの。被爆時に大学をはじめとする長崎の都市が完全に破壊された様子、火傷を負いながら死んでゆく同僚や市民たちの様子を克明に描いている。永井は、この時妻を亡くした。また、救護の際には、頭部の重症と疲労から自らも危篤状態におちいるが、同僚医師や看護婦たちの努力により一命を取り留める。「長崎の鐘」とは、廃墟となった浦上天主堂の煉瓦の中から、壊れずに掘り出された鐘のこと。


作品は1946年(昭和21年)8月には書き上げられていたが、連合国軍最高司令官総司令部 (GHQ) の検閲によりすぐには出版の許可が下りなかった。精神科医式場隆三郎が創刊に関った『東京タイムズ』に「原爆病患者の手記」の連載を始めると大いに話題になり、1948年、永井隆の『生命の河』がやはり式場隆三郎の経営する日比谷出版社から出版された。

 

長崎の鐘』は、GHQ側から日本軍によるマニラ大虐殺の記録集である『マニラの悲劇』との合本とすることを条件に、1949年(昭和24年)1月、同じく日比谷出版社から出版され、紙不足の当時としては空前のベストセラーとなった。


永井自身は、「なかなか出版してくれる出版社がなく、式場隆三郎氏などの尽力により出版にこぎつけた」と本書序文に書いている。


同年7月にサトウハチロー作詞・古関裕而作曲で同書をモチーフとした歌謡曲が発売されて大ヒットし、翌1950年(昭和25年)には松竹により映画化された。

 

※参考の動画 「長崎の鐘


長崎の鐘

 

 

映画 長崎の鐘
長崎の鐘』(ながさきのかね)は、1950年(昭和25年)9月23日公開の日本映画である。松竹製作・配給。監督は大庭秀雄。モノクロ、スタンダード、94分。
戦後、日本人によって原爆を取り扱った劇映画第1号である。GHQによる検閲の為、原爆及び被爆状況等について真正面から取り上げる事が出来ず、永井隆博士の生涯を描いた作品という形で製作された。
スタッフ
監督:大庭秀雄
製作:小倉武志
脚本:新藤兼人光畑硯郎橋田壽賀子
撮影:生方敏夫
音楽:古関裕而
美術:森幹男
キャスト
永井隆:若原雅夫
みどり:月丘夢路
山田幸子:津島恵子
朝倉教授:滝沢修(民芸)
山下:三井弘次
孫左衛門:薄田研二(新協)
鈴木神父:青山杉作俳優座
吉崎医学士:清水一郎
爺や:高堂国典
五島教授:奈良真養
谷村助手:土紀就一
永井誠:村瀬禅
高松栄子
小藤田正一
川村禾門

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